説法・法話
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手を合わせるということ

お寺に行ったりお墓参りをすると、必ず手を合わせます。
でも、なぜ手を合わせるのかということは、あまり知られていないと思います。

仏教だけではなく、神社に行った時も柏手を叩いた後、手を合わせます。
キリスト教でも、指を重ね合わせますが合掌のような姿勢をとります。
また、タイなど東南アジアの国に行けば、挨拶として使われます。

仏教の世界では、一般的に右手が清らかなる手、左手は不浄の手と言われています。
今でもインドなどヒンドゥー教徒が多い地域では、食事など左手では取らないというルールがあります。

右手が清らかなる手であるために、左手で行った不浄のことを清浄なるものにするという意味としてとらえるのが一般的です。


しかし、左手が不浄という意味だけではありません。

右手と左手、もちろんその役割というものは清浄、不浄というものだけではありません。 

左手が不浄のものなら、食事の時など食器を持ち上げるのも躊躇いますよね。


合掌はその人の心を清浄なものとし、色々な動きをする両手を合わせて胸の前、または顔の前で合わせるのは人間が行う行為を投げ打って、神仏に帰依してすべてを任せるというという無我の心を現わすものです。


御先祖様に帰依するという気持ちを行うこと、それがなによりの行為とすると、手を合わせるのは全ての物に対して感謝の意を表しているからです。

そう思うからこそ、人は仏壇で手を合わせ、お寺やお墓で手を合わせ、食事の前にも手を合わせるのでしょう。


自分にとって都合のいい時だけ神仏にお願いをするのではなく、日常から神仏に手を合わせてお祈りをすることで、より帰依するという気持ちが強くなります。

手を合わせる…ただそれだけの行為ですが、気持ちを込めて両手を合わせてお参りしましょう。

副住職

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